時には記憶をたどって 大昔の話をしてみよう・・・アハハハ 小学生のころ・・・ 学校から帰ると とにかく家の中には居なく、外にばかり居た記憶が有る。
今どきのように ゲームなども無いし、テレビなどは小学校に入学する頃にやっと我が家にも・・・ ハハハ それでも暗くなるまでは外に居たらしい?・・・
すぐ近くに同級生は数人居たが 彼らは頭の出来が良すぎて合わない。 いつも1年~2年下の連中と遊んでた。あるいは少し離れた歩いて10分~15分ほどの同級生、
あとは年上の連中と・・・とにかくいつも外だ。 家業が家具・建具など 昔で言う指物師の家だ。 起きてるうちは おやじもおふくろも仕事・・・・・
そんな事で、相手にしてもらえないし、また相手にしてもらおうなどと思わなかった。 ただ、親が働いて稼いで居るから生きてるのか?ぐらいは感じてたが・・・
有るとき、おい!お前たち、今週の日曜日に公民館の前に集まれ! 朝9時だ、と、集合するように言われた。 たしか?5才ぐらい年上だったような・・・
いわゆる昔で言うところの ガキ大将と言うやつだ。 当日何か、叱られるのか?殴られるのか? おどおどしながら集まったと思う・・・・・
集まったのは確か?5~6人かな? 1~2年下やら、1~2年上も居たか? ほぼ集まったところで、よし!お前らこれからマラソンだぁ~・・・
ここをスタートして たたらの坂(当時の集落のはずれの先)まで行って、ここにまた戻ってくる! オレが先導するからな! て、親分は自転車だぁ~・・・
ブツブツ言うと叱られるので、うん!としか言えない。 ハハハ いいか! 1等は飴玉2個、2等は飴玉1個だ、あとは無しっ! 皆の目が一瞬光ったか? ハハハ
今考えると無謀な気がするが、往復約3キロぐらい、私は確か3~4年だったかな~? 復路はもう~ヘロヘロだ! 飴玉などもう~頭にない・・・・・ハハハ
小学生3~4年で3キロだからねぇ~・・・ ハハハ マジにヘロヘロだ。 しかも砂利道。 結局その日から毎週のように集合だ。 その飴玉がまたすごい!
確か?500円玉より大きく、ピンポン玉より小さいぐらいな? 記憶は定かではないが? くちの中に入れたらほっぺが パンパンに膨らんで、
はち切れそうなぐらいの大きさだったと思う。 間違ったら申し訳ないが 当時2個で5円か?10円だったと思うなぁ~記憶が定かではないが・・・
かなりの貧乏な家に生まれたらしく? 当時は小遣いなどゼロだ。 最も、小遣いと言う言葉すら知らない子供だった。 ハハハ 冬以外は毎週日曜日に走らされた。
ガキ大将はメガホンのような物をもって自転車に乗って伴走する。 僕らは砂利道を たんぐつで走る。 当時はスニーカーなど無いからね。 ハハハ
たんぐつ・・・うす~いゴムのくつだ。 なので、クッチャクッチャ言わせながら走る・・・素足にゴムなので汗もかく・・・ ハハハ 最後ははだしで走る。 ハハハ
それにしても・・・・・・ 一度も飴玉もらった記憶がないのだが・・・・・・・・・しかし、6年生になるまで鍛えられたねぇ~・・・今は彼に感謝しかない・・・
これが、夏の陣と言うか? 春先から秋の雪が降る前まで毎週・・・・・ 実は冬の陣も有るんだ・・・・・・ それはまた次に・・・・・